強烈な現実としてのバイク

10代の頃にバイクを乗っている友人はたくさんいましたが、今でも乗り続けている友人は殆どいません。

だいたいの友人は、18歳になって車の免許を取得するとバイクを手放し、就職して乗る機会が減ればバイクを降りて、家庭を持ち経済的に厳しくなればバイクを売却しました。

もっともこれらは機会に過ぎず、だいたいの人はバイクに飽きてしまうのでしょう。
なぜ、人はバイクに最初に乗った感動を忘れ、飽きてバイクを降りてしまうのか?という点が非常に興味があります。もっともバイクだけではありません。殆どの人は物事に飽きてしまいます。

現実より先に脳内で物事に飽きてしまう現代人

イギリスの作家のコリン・ウィルソンは、現代の文明人はこれから行う行動を先回りして想像し、脳内で現実をシュミレーションして、現実より先に脳内で「物事に飽きて」現実を倦んでしまう。と書いていまして、私はもっともだなと同感しました。

私もこのタイプでして、例えば来週にツーリングに行こうとすると、色々と想像してウンザリする事が多々あります。

まず現地の天気と気温を調べ、ウェアやカッパを探してバタバタし、バイクの調整をしなければいけない箇所を思い出して慌て、最近は何かあったらどうしようかと色々と不安になります。

こうなるともうツーリングに行こうとする事自体が面倒になり、放棄して家で寝ることを選択しようと思うのですが、過去の経験から、これらの想像は馬鹿げた事で、行けば楽しいのは承知ですから、淡々と準備して出発するように心がけます。その後、ツーリング先で、来てよかったなと安堵して楽しみます。

バイクに乗り続けている友人は・・・

数少ないバイクに乗り続けている友人の一人に、こういった思念はあるよな?と問うと「なんだそりゃ?」と言ってまして、まったく同感してくれませんでした。

この友人はバイクに乗り続けて30年近く経っているにも関わらず、機械音痴で道路に詳しくなく、バイクも動けばよいというタイプで、失礼ですがあまり向上心はないように思えます。

ただ、彼はいつもバイクに乗れば楽しいと言い、私からするとマズい食べ物を食べても、うまいと言います。
昔、私はこの友人を馬鹿ではなかろうかと思ったのですが、最近では私の方が馬鹿なのだと思うようになりました。

2014年10月 北海道ツーリングにて

2015年10月 北海道ツーリングにて

左の画像は10月に行った北海道の景色です。出発する前から分かっていたとはいえ、雨が降り峠は冠雪し紅葉もイマイチで散々なツーリングでしたが、天は私を憐れんだのか、綺麗な虹があらわれました。

バイクは強烈な現実だと私は思っています。バイク、いや現実とは楽しいものです。